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眠りの森 

耳を澄ましてみた その声は誰の声
口を閉ざしてみた その台詞が私を呼ぶ

耳を澄ましてみて 失くした過去と未来
口を閉ざしてみて 溢れ出す嘆きも止む

静かなる心を揺らす 静寂から気付く存在は
僕の中に もう一人の僕が

ねぇ聞こえていますか 出会うことなくても
眠るまで 眠るまで 一番に傍にいる
心を分け合う 近づいてまた離れて
眠りから 醒めるまで 私を共有して
心の闇と光 君は僕で ひとつに

耳を澄ましてみた その声は誰の声
口を閉ざしてみた その台詞が私を呼ぶ

静かに心宥めて 迷う時共に悩みながら
僕の中に もう一人の僕が

ねぇ聞こえていますか 声にならない声
眠るまで 眠るまで 耳を傾けよう
裏から表へ 代わる代わる現れて
眠りから 醒めるまで 奥で私を呼ぶの
心の闇と光 君は僕で ひとつに


ねぇ聞こえていますか 出会うことなくても
眠るまで 眠るまで 一番に傍にいる
心を分け合う 近づいてまた離れて
眠りから 醒めるまで 私を共有して
心の闇と光 君は僕で ひとつに


Asriel  「淡き夢見る宵闇ノ骸華」 より 『眠りの森』

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category: 日常生活

Posted on 2037/04/30 Thu. 00:00  edit  |  tb: 0   cm: 0  

京大ロー平成28年度講義情報 

 こんばんは。現在春休みを謳歌しています。

 久しぶりのブログ更新ですが、これといって書きたいテーマもないので、今日は1年間の院での講義を振り返って、特に基幹科目について、講義の客観的な情報や個人的な感想をまとめたいと思います。なお、授業の良かった点について言及することはあっても、悪かった点については殆ど言及しないつもりです。僕がそのようなコメントをすることはおこがましいことだと思うので…。


(Ⅰ)2016年前期

(1)民法総合1(月2)
担当:山本敬三先生
使用教材:民法総合事例演習(第1部)
当て方:ランダム(先生曰く、一定の法則に従っているそうだが…?)
マイクの回転速度:2,3回の講義で1回。
その他:先生が作成されたパワポを用いながら授業が進んでいく。授業後にはこのパワポを抜粋したものと要件事実表が配布され、復習するのに役に立つ。説明が分かりやすく、質の高いものであることは多言を要しません。授業では、基本的な事項(例えば、危険負担の制度を支える理念は何か、不当利得の公平一元論とは、類型論とはどのような理念に従ったどのような考え方であるかetc)から問題を検討するに当たっての発展的な事項まで質問される。分かりにくいことを言ってしまうと突っ込まれるし、声が小さくても苦言を呈される。民法理論は勿論のこと、実務家で大切な姿勢というものまでをも学ぶことのできる満点の講義。ただ、授業が平気で30分前後延長される(最大で51分延長された)が、素晴らしい授業であるからマイナス評価要素たりえない。

(2)刑事訴訟法総合1(月3)
担当:酒巻匡先生
使用教材:ケースブック刑事訴訟法(捜査法部分)
当て方:ランダム
回転速度:僕のときは1回だけ当たった。
その他;事前にケースブック刑訴法のうちどの問題を授業で取り扱うかを指定される。先生に当てられたら10分前後問答をすることになる。学生との議論よりも先生が一方的に喋る時間の方が相対的に多く感じた。基本的な刑事訴訟法の知識を修得していることを前提とした解説が加えられる。指定された問題を予習してこなかったり、判例を読み事案を把握しておかないとキツイことを言われるので要注意。なお、僕のときは無令状捜索・差押えが所定の14回の期間内に終わらず、補講で講義がなされることになった。ゆえに、進度はそこまではやくない。

(3)商法総合1(火3)
担当:洲崎博史先生
使用教材:会社法事例演習(第1部)
当て方:席順(横方向)
回転速度:2,3回の講義で1回。複数問解答するよう求められることもある。
その他:黒板には問題の解決をするのに必要な条文の番号をメモするのみであまり使わない。扱わねばならない問題数が多いせいか、あまり関連質問や事案を変更したような質問がされることはなく、答えたらそれで終わるということもよくある。僕は4回生のときに洲崎先生のゼミだったこともあり、先生の解説はすき。

(4)公法総合1(火5)
担当:原田大樹先生
使用教材:ケースブック行政法、先生のHP等で公開されるレジュメ・予習復習課題
当て方:席に従った規則性あり(横方向)。
回転速度:僕のときは1人2回当たった。
その他:初回を除き、授業の冒頭に前回の内容をもとにした復習課題の解説から始まる。授業はレジュメに従って講義形式で進み、途中で予習課題にうつるというもの。説明は分かりやすい。しかも時間内に終わることが多く、超過しても最大で10分程度だったので、講義計画自体よく練られているのだなと思った。先生との議論をしても、予習を大外しさえしていなければたいてい「そうですね」といって乗り切れる。

(5)刑法総合1(水2)
担当:安田拓人先生
使用教材:ケースブック刑法(わずか)、先生のオリジナル問題(基本的にはこれ)
当て方:席順(横方向)
回転速度:3,4回の講義で1回。
その他:ケースブック刑法は極めて評判が悪く、その著者の1人である先生も「ちょっとね…」と苦言を呈するものであるため、基本的には先生が事前にアップする予習課題に従って授業が行われる(その課題に数問ケースブックの設問が混じっていることがあった)。ケースブック刑法(第3版)はこの春に第3版に改訂されるそうで、こうした方針が2017年以降も継続されるかは不明ですが。で、先生の質問票は(授業で扱われるレベルの)ケースブック刑法の設問に比べたら随分難しいです(基本的な事項を問う設問がほとんどない)。解答しても、簡単に逃がすことは少なく、関連質問や反対説に立ったらどうなる?といった感じのことを聞かれます。

(6)民事訴訟実務の基礎(金4)
担当:佐々木茂美先生
使用教材:新問題研究 要件事実、民事訴訟第一審の解説、民事判決の起案の手引き、および授業用レジュメ課題
当て方:微妙な規則性あり(席順)(誰からマイクがスタートするかが気分に係っているようにみえる)
回転速度:3,4回の講義で1回。
その他:授業用のレジュメ課題に従って授業が進められる。僕は学部時代民法を要件事実を意識して(要件事実に従って)勉強してこなかったので、この授業は目新しいことが多く、大変でした。春休み期間に新問題研究だけでも読み進めておくとよさそうな気がします。授業用のレジュメ課題以外にも、架空の紛争事案を用いて請求の趣旨、請求原因等を書く「起案」という課題が2,3回の講義に1回のペースで存在し、こちらも大変。民事訴訟の実務の基礎というタイトルですが、民事訴訟法の話が中心というわけではなく、主眼は要件事実にあると思います。僕は(今も)民法が苦手なので、この授業は結構重かったです。


(Ⅱ)2016年後期

(1)刑事訴訟法総合2(月5)
担当:堀江慎司先生
使用教材:ケースブック刑事訴訟法(主に証拠法部分)
当て方:開始はランダムで席順に従った規則性あり。
回転速度:2,3回の講義で1回。複数問解答するよう求められることもある。
その他:講義の数日前にケースブック刑訴法の予習する問題が指定される。変な問題が指定されることはほとんどなかったので、変に頭を悩ませることはなかった。先生とのやりとりでは、設問に答えるだけで終わることはなく、関連質問や、他説に立った場合の検討(例えば自白の排除根拠として、虚偽排除や人権擁護ではなく違法排除に立ったらどのような解決がされることになるか)をされることが多い。この質問を通じて、この部分はこういうことだったのかと気付くことが多く、非常に有益。

(2)民法総合2
担当:山本豊先生
使用教材:民法総合事例演習(第2部)
当て方:開始はランダムで席順に従った規則性(基本的には横方向)あり。
回転速度:1,2回の講義で1回。友人の中には5,6回連続で当たったという人もいた。
その他:設問の解決に必要な事項のみならず、基本的な原理・原則部分にも質問がなされるというのは民法総合1に同じ。要件事実を黒板に逐一記載するという斬新なスタイルで、黒板を広く使う。授業終了後には潮見先生が作成された要件事実表が配布され、こちらは復習に非常に有益(ただ、「この部分は授業で説明した通り」等の記載が時々なされており、潮見先生のクラスではない僕にとっては??となるところが多かった(例として、Ⅱ-1の消滅時効の援用権者の範囲))。

(3)商法総合2
担当:斎藤真紀先生
使用教材:会社法事例演習教材(第2部)
当て方:席順(横方向)
回転速度:2,3回の講義で1回。複数問解答するよう求められることもある。
その他:基本的な進め方は商法総合1に同じ(こちらも、必要な条文を黒板にメモするスタイルであるが、洲崎先生と違う点としては、設問ごとにどういう状況・関係にあるかを図で示すことがあるくらい)。時々複雑な事項についてはパワーポイントを用いた講義がなされることがある(例として、指名委員会等設置会社、監査等委員会設置会社のしくみについて)。説明が時々早口で聞き逃すことがあるので要注意。なお、商法総合2の部分は、もっぱら条文ゲームの要素が大きく、予習がたいへん(特に組織再編のところのⅡ-9,10,11)。

(4)公法総合2
【行政法部分】
担当:原田大樹先生
使用教材:ケースブック行政法、先生のHP等で公開されるレジュメ・予習復習課題
当て方:公法総合1に同じ。
回転速度:僕のときは1人1回当たった。
その他:公法総合1に同じ。ただ、夕方よりも午前中に見る原田先生の方がシャキッとして見えた(当然)。

【憲法部分】
担当:土井真一先生
使用教材:Case and Materials 憲法訴訟、予習レジュメ課題
当て方:席順(最前列の人が当てられる)
回転速度:7回の授業のうち、あたったのは10人ほど。講義が多い。
その他:使用教材に掲げた憲法訴訟は新しく購入したが、ほとんど使われなかった(先生が作成した予習課題でたまに登場するくらいだった)ので、図書館にあるもののコピーで十分代用可能だと思います。基本的に先生の講義で進んでいき、しかも分かりやすく、ノートをとるのが大変(学部時代もそうでした)。憲法訴訟という学部の憲法の講義では手厚く扱われない分野について、一から学べます。

(5)民事訴訟法総合1
担当:山本克己先生
使用教材:ケースブック民事訴訟法、ロースクール民事訴訟法
当て方:ランダム
回転速度:2,3回の講義で1回。
その他:1年通じて最も緊張感にあふれた科目がこれです。間違いなく(笑)。授業前に取扱う問題が指定されることはありませんが、授業の進度に応じて予習した問題の解説がカットされることがあります。授業中の解説では、基本的な制度趣旨や判例の言っていることの検討をすることはほとんどなく、高度な議論が続きます(それゆえ、民訴の苦手な僕はついていけないことがよくありました)。先生とのやりとりではまず何かしら言い返され、しかも的確に答えることが難しいようなことを聞かれます。予習も平気で6時間以上かかるなど、重たい科目でした。

(6)刑法総合2
担当:高山佳奈子先生
使用教材:ケースブック刑法
当て方:名簿(あいうえお)順
回転速度:2,3回の講義で1回。ただし、事例問題の場合は超高速。
その他:ケースブック刑法の中から比較的穏当な問題を事前に指定されます。それゆえ刑法総合1に比べたら圧倒的に予習時間は短いものでした。「判例の事案を紹介する」ために1人の生徒を消費するので、これにあたると楽チン。先生とやりとりする中ではあまり深いことを聞かれることはなく(たまーに1人の生徒が特に理由もなく集中砲火を浴びることが何回かありましたが…)。事例問題の場合はとにかく高速で、数秒しかマイクを握らない人もチラホラ(例えば、甲と乙の罪責どちらから検討しますかと聞かれ、甲からいきたいですと答えただけで、次の人にマイクが回る)。


*おまけ
労働法1・2(いずれも金3)
担当:村中孝史先生
使用教材:ケースブック労働法
当て方:前期は講義形式。後期は2年生から名簿順
回転速度:受講人数に応じるから何とも言えないが、僕は2回当たった。
その他:前期では、講義形式で労働法の全体を概説する。後期では、特に重要なテーマについて、先生作成の問題についての問い及びケースブックの問いが議論される。授業アンケートに「喋り方に覇気がない」と書かれたことについてブツブツ言っていたが、確かに話声が聞きにくいときがあるので、講義を録音するときには特に座る場所に注意をした方がよさそう。しかし、敵対勢力である同○会を叩くときだけは覇気に満ちていて、労働法の話をするときよりも楽しそうです。


 1年間、個性に溢れた先生方の授業はどれも充実したものでした。これらの先生に習う機会はもうほとんどなくなってしまい、寂しいですね。それゆえ、今は、3年生になったら何の授業をとろうかな~と悩み続けているところです。

category: 日常生活

Posted on 2017/02/22 Wed. 00:29  edit  |  tb: 0   cm: 0  

刑法177条のはなし 

 今日は刑法177条のあれこれについて少し話をしようとおもいます。が、刑法177条ってなんやねんと思う人も多いと思うのでまずは条文から紹介します。


刑法177条 暴行又は脅迫を用いて十三歳以上の女子を姦淫した者は、強姦の罪とし、三年以上の有期懲役に処する。十三歳未満の女子を姦淫した者も、同様とする。


 そう、刑法177条は「強姦罪」についての規定です!何故この話なのか、というと、実は強姦罪(も含めた刑法の一部)は近い未来に改正がされる予定なのです。

性犯罪の厳罰化、法制審が答申 刑法、大規模改正へ:朝日新聞デジタル

 このニュースを読む上で、「性犯罪の厳罰化」とはどのように捉えるべきかを2つの視点から考えてみました。


①非親告罪化
 まず、この法改正により強姦罪は親告罪ではなくなるとされています。

 ところで、親告罪とはなんでしょうか?この言葉の意味を分かるためには、刑事裁判の基本的な仕組みを分からなければなりません。現行の刑事訴訟法の下では、刑事裁判(公訴)を提起するかどうかは検察官が決定権限を握っていますが(刑事訴訟法247条)、一定の種類の罪については、「被害者が裁判によって犯人処罰を求めること」=告訴がなければ、公訴を開くことができないという仕組みになっています。このような仕組みの下にある犯罪類型を「親告罪」といいます。刑法180条1項が、「第176条(強制わいせつ罪)から第178条(準強制わいせつ・準強姦罪)までの罪…は、告訴がなければ公訴を提起することができない」と規定しています。ここから、177条の強姦罪は親告罪であること、すなわち、被害に遭った女性が刑事裁判で犯人処罰を望むという意思表示をしない限りは、検察官は勝手に裁判を起こすことができないということが分かります。

 そもそも、なぜ強姦罪等の性的自由に対する罪は、親告罪なのでしょうか。犯罪があったら裁判を起こすことで、犯人を有罪にすればよいではないかという考え方も十分成り立つと思いますが、その考え方を否定する方向に傾ける要素として、性犯罪の被害者のプライバシーというものを挙げることができると思います。すなわち、裁判をするということは、いつ、どこで、どのように犯罪が行われたのかを詳細に明かす必要があるため、過去の出来事を再び明らかにすることで、被害者に対する精神的なダメージを裁判の場で与えることにもなりかねません。確かに、事案の真相の解明と犯人処罰は刑事手続において重要な目的であることは間違いありませんが(刑事訴訟法1条参照)、犯罪被害者の保護という観点も重視されなければなりません。特に、性犯罪の被害者についてはそれが強いものと考えられるため、親告罪というかたちで、刑事裁判を起こすかどうかを被害者の意思に委ねているという制度を現行法の下で採用しています。

 この現行法下の枠組が法改正により変わろうとしています。親告罪から非親告罪になるということ、すなわち、被害者の意思に関わらず、検察官が刑事裁判を起こすかどうかを決定できる仕組みに変わろうとしています。
 確かに、犯罪被害者の保護という観点は、性犯罪においては重要です。しかし、以前から、性犯罪の被害者は犯人による報復を恐れたり、思い出したくないという理由でいわゆる「泣き寝入り」状態にある被害者が多数を占めていたと言われています。被害者が泣き寝入りするということは、犯罪者は大した処罰も受けずにのうのうと生きているというわけです。これではだめだろう、ということで、大きな方針転換に踏み切るようです。
 親告罪から非親告罪になるということは、今まで刑事裁判を起こすことができなかったような類型の事件についても検察官が裁判を起こせることになるので、「厳罰化」ということができると思います。


 個人的には、日本は性犯罪の発生率が諸外国に比べて著しく低いといわれる一方、上述のように泣き寝入りの数が相当多数にのぼることを考えれば、非親告罪化には賛成です。もっとも、今後は、従来親告罪であったことを踏まえて、刑事裁判の場において、被害者のプライバシー保護のためにどのような措置が可能か、あるいは法改正等によって実現していくべきか、ということを中心に議論していくべきでしょう。



②「強姦」のカバーする範囲の拡大
 分かりやすいように、すっごく簡単に、かつ俗な言葉で説明します。笑

 従来の刑法における「強姦」は、刑法177条を見ても分かる通り、その対象者を「女子」とし、行為の内容を「姦淫」としています。つまり、強姦の被害者になるのは100%女子、裏返していえば、男子が強姦罪の被害者になることはありえません。そして、「姦淫」とは、生殖器であるちんこを生殖器であるまんこに挿入する行為です。「女子」に対する「ちんこのまんこへの挿入」でなければ強姦罪は成立しません。これと類似の行為は「強制わいせつ罪」(刑法176条)に分類されます。たとえば、男が男をレイプするような場合や、男が女の口に無理やりちんこをつっこむような場合には強姦罪ではなく、全部強制わいせつ罪に分類されることになります。

 しかし、法改正により以上の考え方は放棄されます。強姦罪によりカバーされる範囲が大きく広がるのです。

 第一に、男性も強姦罪の被害者の対象となります。今まで男性がレイプされても強制わいせつどまりだったのが、強姦罪が適用されることになります。この適用関係が何に影響するかといえば、刑の重さです。強制わいせつよりも、強姦罪の方が刑は重いのです。
 第二に、処罰対象行為としての「姦淫」という概念を捨て、「性交等」という概念を新たに採用することになりました。この「性交等」には、通常のセックスに相当するものに加え、フェラに相当するもの、アナルでのセックスに相当するものまでもカバーされることになります。これは、第一の点、すなわち男性も強姦罪の被害者になるという点を踏まえれば、このような概念の拡張は当然のことともいえそうですね。

 したがって、強姦罪の適用される場面も拡大されるので、「厳罰化」と評価することができると思います。



 他にも改正される点で重要なものがあるのですが、僕の興味・関心の主たる部分は上記の2点にあるので思いつきでサ~ッと書いてみました。笑
 性の在り方をめぐる問題は刑法制定時に比べて多様化が進み、昔の考え方が時代に追い付いてきていないふしがあったので、今回の法改正は十分評価に値するものであると考えています。

category: 法律

Posted on 2016/11/03 Thu. 23:41  edit  |  tb: 0   cm: 0  

精神障害者と刑事責任の交錯(後編) 

 前回、精神障害者と刑事責任の交錯(前編)という記事を書いたのですが、肝心の後編について書こう書こうと思っていたらいつの間にか夏休みも残り2週間くらいになってしまいました。笑 今晩は、頑張って続きを書こうと思います。


・前回のおさらい
 刑法によって処罰されるべき「犯罪」とは、「構成要件に該当し、違法で有責な行為」であるということでした。すなわち、ある行為が犯罪にあたると判断されるにあたって、①その行為が構成要件に該当すること、②その行為を正当化できる事情(刑法学では「違法性阻却事由」とか「正当化事由」とか言われています)が存在しないこと、③その行為を非難することができない事情(刑法学では「責任阻却事由」と言われています)が存在しないこと、という3段階のステップを踏む必要があるということでした。
 まず、構成要件に該当する行為とは、ごく簡単にいえば、刑法という法律に規定されている行為をすることです。殺人罪(刑法199条)であれば、「人を殺す行為」すなわち、金属バットで頭を殴りまくるとか、ナイフで腹を刺すとか、そういう行為が構成要件に該当する行為です。
 次に、違法性阻却事由とは、構成要件に該当する行為であっても、そうした行為を正当化できる=違法であるといえない事情のことです。たとえば、医者が患者を手術するときにナイフ等で皮膚を切り裂く行為は傷害罪(204条)の構成要件に該当する行為ですが、そうした行為は医療上必要な行為であって、傷害罪として違法の評価を下す必要がないということになります(なお、ここでは、「構成要件に該当する行為は原則として違法であると推定される」との前提があります)。このような事情がある場合には、違法性がないため、犯罪とはなりません(刑法35条。「法令又は正当な業務による行為は、罰しない。」と規定しています)。プロレスラーが、対戦相手を蹴ったりするのもこの場合ですね。
 そして、構成要件に該当し、違法な行為であっても、そうした行為を非難できない=責任を問うことができない事情がある場合には犯罪が成立しません。 たとえば、刑法41条は、「14歳に満たない者の行為は、罰しない」としています。すなわち14歳未満(刑事未成年)の者が、コンビニからポケモンカードを盗んだとき、その行為は窃盗罪(刑法235条)の構成要件に該当するし、その行為の違法性を無くす(行為を正当化する)事情もありません。しかし、刑事未成年は、一般的にみて未だ精神的に未熟であり、自己の行為が刑法的に許されているかどうかの判断をする能力を備えていないと考えられ、その者の行為を非難することができない(=刑法41条にいう「罰しない」)のです。責任の有無の判断は、「その者の違法行為に対して非難を加えることができるかどうか」(=「責任能力」があるかどうか)の判断と考えてよいと思います。責任能力がなければ、無罪です。


 以上が前編のハイライトです。精神障害は、第三のステップ、すなわち責任の有無の判断に関わってきます。つまり、ある精神障害者が人を殺したり、人の者をパクッたりしたときに、精神障害を理由にして責任なし=犯罪なしとの判断がされることがあるのではないか、という問題があります。



・刑法39条
 僕は精神病といった分野の専門ではないので信頼できる文献などが手元になく、(以下では、精神病の記述については主に)インターネットを参考にした記述になってしまいますが、ご了承ください。

 さて、刑法39条は、「心神喪失(しんしんそうしつ)者の行為は、罰しない」(1項)、「心神耗弱(しんしんこうじゃく)者の行為は、その刑を減軽する」(2項)と定めています。この規定は、どのように考えればよいのでしょうか。


 大審院(現在の最高裁判所に相当)の判決によると、この心神喪失と心神耗弱は、いわゆる「混合的方法」により定義されます。これによると、ある者が心神喪失・心神耗弱にあたるかどうかは、①精神の障害があることを前提として、②認識・制御能力の欠如・減少の程度によって振り分けるとしました(大判昭6・12・3)。そして、「心神喪失」者(刑法39条1項)は、精神の障害により認識・制御能力が欠如した状態にある者をいい、「心神耗弱」者(刑法39条2項)は、精神の障害により認識・制御能力が著しく減少した状態にある者をいうとされます。そして、刑法39条1項・2項の文言からも分かるように、心神喪失者は責任能力なし(責任無能力)として無罪に、心神耗弱者は責任能力がちょっとしかない(限定責任能力)として、犯罪は成立するものの、その刑が必ず減軽されます。
 すなわち、責任無能力(全く非難できない)/限定責任能力(少ししか非難できない)/完全責任能力(非難できる)

 したがって、刑法39条の適用においては、①その者に精神障害があるかどうかという生物学的判断と、②精神障害によって認識・制御能力がどの程度欠如・減少しているかという心理学的判断とが問題になります。もっとも、認識・制御能力の有無や程度を区別することは事実上かなり難しいようなので、判決は、諸事情を総合的に考慮し、病的症状が犯行に及ぼした影響力がどうであったかということによって結論を導くものが多いです(例えば、最決昭59・7・3)。

 さて、このうち、精神の障害については医学的に見ても判断が難しいのは異論のないところであり、まして素人の僕が的確な分析をすることなど不可能でありますので、裁判例で実際に問題となった精神病について、①統合失調症、②覚醒剤中毒を取り上げて整理していくことにします。


①統合失調症の場合
 統合失調症とは、旧称「精神分裂病」であり、幻覚や妄想という症状が特徴的な精神疾患です。それに伴って、人々と交流しながら家庭や社会で生活を営む機能が障害を受け(生活の障害)、「感覚・思考・行動が病気のために歪んでいる」ことを自分で振り返って考えることが難しくなりやすい(病識の障害)、という特徴を併せもっています(厚生労働省HPより)。

 統合失調症と診断された者が、例えば殺人や窃盗を犯したときに、犯罪が成立することになるのでしょうか。統合失調症患者の責任能力の有無が問題になります。


 さて、ある者(X)が殺人未遂事件を起こし、その者の行為に統合失調症の影響が認められる場合に、その者の責任能力がどうなるか、ということが争われた事件がありました。その事件の原審(2回目=高等裁判所の裁判)では、被告人Xに完全責任能力を認めました。被告人Xの弁護人が最高裁に上告したところ、最高裁は完全責任能力を認めた原判決を破棄し、原審に差し戻し(裁判をもっと丁寧にやり直せと命令し)ました(最判昭53・3・24)。この判決のように、ある者が統合失調症と判断されれば完全責任能力とされることはほとんどないようです。すなわち、完全責任能力でないということは、刑法39条が適用され、1項=心神喪失と判断されれば無罪に、2項=心神耗弱と判断されれば有罪かつ刑の減軽ということになります。

 1項になるのか、2項になるのかというのは、統合失調症による認識・制御能力の有無・減少の程度により振り分けられます。大まかな基準としては、統合失調症が重症であるとき、その症状である幻覚・妄想等の病的体験に行為が直接支配されたときは、通常心神喪失と認められ、1項が適用されることになり、他方、統合失調症が軽症であったり顕著な症状が消退している状態(これを「寛解状態」というそうです)にあれば、行為者の統合失調症の種類・程度、犯行の動機・原因、犯行の手段・態様、犯行前後の行動、犯行およびその前後の情況についての記憶の有無・程度、犯行後の態度、統合失調症発症前の行為者の性格と犯行との関連性の有無・程度を総合考慮して責任能力評価を行うべきとされているようです。

 ただ、最近の下級審の裁判例では、完全責任能力を認めるものもあり(例として東京地判平21・3・26)、統合失調症=非完全責任能力と即断してはならないようですね。



②覚醒剤中毒の場合
 覚醒剤とは、あえて説明するまでもないようにも思いますが、日本で出回っている「覚醒剤」と呼ばれているもののほとんどは化学的には「メタンフェタミン」(別名「フェニルメチルアミノプロパン」)であるそうです。これに対し、ヨーロッパ等の海外で出回っている覚醒剤は「アンフェタミン」が主流なんだそうです。メタンフェタミン(フェニルメチルアミノプロパン)は、覚醒剤取締法2条で、「覚醒剤」の一つに指定されています(余談ですが、戦後日本の復興期では、覚醒剤が「ヒロポン」(疲労がポンと飛ぶ、の意)として一般に売られていたとかいう話はよく聞きますね)。
 覚醒剤の症状としては、①中枢神経の興奮作用が主たるものだといわれます。すなわち、この作用により一時的に気分が高揚し、自信が増したような気持ちになり、自信が増し、身体が軽く疲労感がなくなるように感じるそうです。そして、②交感神経を刺激する作用もあり、具体的な症状としては、脈が速くなる、不整脈/口周辺の不随意運動(歯をカチカチと嚙合わせる等)/顔面紅潮や顔面蒼白/不眠/著しい発汗/悪心や嘔吐/瞳孔の拡大/口の中の渇き/四肢振戦(細かい震え)やけいれん等があるようです。そして、③覚醒剤のの効き目が切れたときに、中毒者には、体中を虫が這いずり回っている不快感から、実際にその虫が皮膚の下を這っているように見えたり、自分の世界に入り込んでしまい実際には存在していないものの声や姿が鮮明に見聞きできたりと幻覚や幻聴が起こるようです。


 さて、特に上記③の状態に陥った覚醒剤中毒者(俗にいう「ポン中」)が殺人や窃盗等を犯した場合、その者には責任能力が認められるのでしょうか。
 この点につき、覚醒剤中毒の場合には、統合失調症の場合とは異なり、幻覚妄想があっても、行為者の全人格を支配せず、行為者はそれに一定の距離を保ちうるとして、心神喪失を認めることに否定的な裁判例が多いです(例として、東京高判昭59・11・27)。


 統合失調症と覚醒剤中毒者は、平たく言えば「自分が今どういう理由に基づいてどういう行為をしているのか、その行為は刑法上許されるのかどうか」について分かっていないという点では同じであると思います。しかし、一方では統合失調症の場合には原則として完全責任能力が否定され、他方で覚醒剤中毒者の場合には心神喪失が認められにくいという点で、統合失調症の場合には行為者に刑法上有利に傾き、覚醒剤中毒の場合には不利に傾きます。この差はどこに求められるのでしょうか。

 あくまで僕の推測に過ぎませんが、統合失調症の場合には「そうなるのも仕方ない(どうしようもない)」ということで、精神病に罹患すること自体を悪いものだとして責めることができないという価値判断がされるのに対し、覚醒剤中毒の場合には、覚醒剤の所持・使用は行為者の意思決定によるものであるから、そんな状態になったのは君の責任だよねということを言いやすいのであり、したがって刑法上不利に扱っても問題ないとの考え方が背景にあるのではないでしょうか。


・心神喪失者に対するケア
 さて、前編で「責任能力がない人に必要なのは、刑法上の制裁を与えることではなく、そうした者に対するケアである」的なことをちょっと言ったように思います。実際、心神喪失等の状態で重大な犯罪(殺人、放火、強盗、強姦、強制わいせつ、傷害)を行った者を対象として強制入院治療を行う制度が整備されています。

category: 日常生活

Posted on 2016/09/17 Sat. 00:18  edit  |  tb: 0   cm: 0  

男18、女16 何の数字? ~民法731条のはなし 

 男18、女16という数字を見てピンとくる人はいるでしょうか。この数字は、民法731条に関係してきます。

民法731条  男は、十八歳に、女は、十六歳にならなければ、婚姻をすることができない。



 この規定が何を意味するのか、何が問題なのかということを理解するためには、前提知識として、「民法とは何なのか」について知っておく必要があると思います。


・民法とは?
 民法という言葉を聞いたことがある人もいるかもしれません。日本史の教科書の中でも出てきます民法は、司法試験の必須受験科目であり、いわゆる「六法」の1つ(その中でも最重要)でもあります。僕は正直言ってあまり得意ではないから、民法の話をするのもためらわれるのですが、間違いを恐れず書いてみることにしました。笑

 さて、民法とは、簡単にいえば「人々の私生活を規律する法律」ということができるかと思います。民法は、私生活の中でも、①財産分野について規律する部分と、②家族分野について規律する部分とに大別できます(なお、民法上は、総則・物権・債権・親族・相続という5つの部分に分けられていますが、これらをさらに大きな観点から分類すると、結局のところ民法=財産法(①)+家族法(②)からなるというのがおおむね妥当している理解であると思われます)。
 
 このうち、②の家族分野について規律する部分(→家族法)とは、「家族に関するルール」を定めています。そして、この家族法は、「親族法」と「相続法」に分類されます。親族法は、婚姻・離婚や養子制度など、「親族」を形作る法制度について定めています。相続法は、親族が死亡するに伴って起こる財産等の移動(=相続)について定めています。


     財産法
民法
     家族法――親族法・相続法


 民法731条は、家族法のうち、親族法に位置づけられます。


・民法の中身
 以上のような内容をもつ民法は、別名「明治29年4月27日法律第89号」というものです。すなわち、この民法というのは明治29年=1896年にできたものなのです。えっ、明治時代の法律が今まで続いているのか、と思われる方がいるかもしれません。その疑問は半分正解です。
 実際のところ、明治時代にできた民法を、新しい規定を盛り込んだり、古くなった規定を削除・改変したりして(これらの作業をひとまとめに「改正」といいます)、時代の変化に対応できるようにしてきました。だから、明治時代の規定の「骨格」が、未だに民法の中に残っているのです。「昔ながら」と「現代風」が混在しているというわけですね。

 なお、あまり関係ないのですが、「時代に合うようにしたいのであれば、法律自体を丸ごと改正してしまえばよいではないか」という意見を持つ人もいると思います。それも一つの考え方かもしれません。しかし、法律というものは「このような社会を実現したい」という理念のもと制定されるものであり、人と人との関係を規律するのに相応しい理念というものは、おそらく昔も今も変わらないから、制定当時の骨格は残しておいても問題はないのだろう(改正しても基本部分は結局同じになる)と僕は思っています。たとえば、「公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする」(←「法律行為」とは、簡単にいえば契約のこと)と定める民法90条の理念は、少なくとも資本主義経済の下では普遍的に妥当するのではないでしょうか。あとは、現実問題、民法のような超重要法律は、改正するための作業があらゆる方面でめっちゃ大変なんだと思います。笑


 以上が民法とは何なのかということについての、大まかな内容です。これを踏まえたうえで、民法731条について考えていきたいと思います。

category: 法律

Posted on 2016/09/07 Wed. 18:05  edit  |  tb: 0   cm: 0  

精神障害者と刑事責任の交錯(前編) 

 一般の人が「法律」と言われたときに、真っ先に思いつくのは刑法だと思います。ニュース等で報道されている中で多いのは刑法絡みのニュースだからです。例えば、殺人罪、窃盗罪、強盗罪、強制わいせつ罪…これらを規定しているのは「刑法」です。
 おそらく、「その刑法に書いてあるような行為をすれば犯罪になって有罪になるんでしょう」という認識を持っている人が大多数だと思います。実際のところ、その認識で半分はあっているのですが、もう半分については不正確であるといわなければなりません。
 なぜでしょうか。ニュースを見ているときに、「この人犯罪行為をしたのになんで無罪に(不起訴処分に)なっているんだろう」と疑問を持たれたことがあるかもしれません。そこに刑法の仕組みを知るうえで重要な要素が含まれてるのです。この記事では、「精神病の人が犯罪をしても無罪になる」というどこかで聞いたことあるような話の構造をできる限り平易に書いてみようと思います。

 

 しかしながら、この話の構造・理屈を知るうえでは、刑法において犯罪とは何か、どのようにして有罪となるのかという刑事法の大まかな仕組みを知らなければなりません。以下で簡単に示します。
 

 まず、犯罪とは(後に詳しく検討・修正しますが、とりあえず)、「刑法」に書かれている行為をすることです。たとえば、刑法199条は、「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。」として、殺人罪を規定しています。これを読めば、人の命を奪うつもりでその人を殺せば、殺人罪になることがわかります。別の例を挙げると、刑法235条は、「他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。」として、窃盗罪を規定しています。これを読めば、人の物をパクるつもりでその物を盗めば、窃盗罪になることがわかります。このように、犯罪とは、刑法の条文(「第2編 罪」)に書かれている行為をすることであるというイメージが浮かびます。これは、まさしく先に挙げた一般的な認識とほとんど異なるところがありません。

 そして、犯罪を犯したとして、捜査機関(→警察)に逮捕されることになります。犯罪を犯したんじゃないかと捜査機関側に目をつけられている者のことを法律(刑事訴訟法)用語では「被疑者」といいます(マスコミ用語では「容疑者」というのが一般的ですが、以下では被疑者といいます)。被疑者を逮捕する目的は、その者がどこかに逃亡しないようにすることと、その者が事件に関する証拠を隠滅しないようにすることです。被疑者を逮捕し、その身体拘束状態を利用して、「その者の処罰を求める裁判(刑事訴訟法では「公訴」という)」を起こすかどうかを判断する資料を集めるための取調べが行われたりします。ちなみに、公訴を提起することができるのは検察官です(刑事訴訟法247条)。

 ここで、「犯罪を犯した奴なんか全員裁判にかけて有罪すればいいじゃん」という意見があるかもしれません。ごもっともな意見だとは思いますが、それが普遍的に妥当するかはまた問題です。たとえば、人を殺した者は殺人罪にあたり、処罰する必要は十分にあるでしょう。これに対し、コンビニで10円のうまい棒を盗んだ者は、確かに窃盗罪にはあたりますが、裁判を起こしてまで処罰する必要があるでしょうか。いってしまえば、こんな「しょぼい」犯罪に対して貴重な国家資源である裁判作用を発動させるのは「もったいない」と考えれば、そういう「しょぼい」犯罪には罰金刑とか厳重注意程度でよいといえるのです。

 このように、客観的に見れば「犯罪」にあたる行為であっても、検察官は、公訴を提起するに値するかどうかの判断をして、控訴を「提起すること」も「提起しないこと」もどちらもすることができます(刑事訴訟法248条。「犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる」と定めています)。

 したがって、「犯罪にあたる行為が行われたとしても検察官が裁判を起こさなければ(=不起訴処分にすれば)有罪にはならない」、ということがいえそうですね(因みに検察官が起訴すれば有罪率は99%をこえます。こわいですね)。


 いよいよ本題に入りたいのですが、もう少し検討しなければなりません。それは、先程説明した「犯罪を犯したが不起訴処分になった」ということと、「犯罪に当たる行為をしたが、そもそも犯罪にならなかった」ことの違いです。両者は無罪であるという点では同じかもしれませんが、まるで違うのです。


 ここで、先程留保していた「犯罪」の定義について詳しく見る必要があります。

 刑法の教科書をみると、たいていの教科書には、犯罪の定義について、「構成要件に該当し、違法で有責な行為」というように書いてあると思います。一気に学問のにおいがしてきてさようなら~って感じになりそうですが、頑張って説明します。
 この定義からみると、ある行為が「犯罪」と評価されるためには3段階をクリアしなければならないということが読み取れます。すなわち、ある行為が、①構成要件に該当すること、②違法であること、③有責であることでなければならない、と。順番に検討しましょう。

①構成要件に該当すること
 構成要件が何なのかっていうややこしい刑法上の議論があるのですが、簡単にいえば「構成要件」とは、刑法の各条文に書かれている「行為の型」のことをいいます。刑法199条(殺人罪)であれば「人を殺」すこと、刑法235条(窃盗罪)であれば、「人の財物を窃取」することです。ある行為が、これらの行為の型にあてはまることで、「構成要件に該当する」という第一のハードルをクリアできます。
 (なお、刑法各論と呼ばれる領域(京大法学部では「刑法第二部」)は、刑法典に書かれている構成要件の解釈をやっていくものです。総論よりはイメージがつかみやすく何とかなりそうな感じがしますね。)


②違法であること
 これも違法が何なのかとか議論があるのですが、とりあえずおいといて、普通の考え方は次のように考えます。「刑法というのは、やられたらヤバい行為を国家が刑罰で威嚇することで抑止し、それと同時に、どこまでの行為なら適法に(罰されることなく)できるのかを国民に示す行為規範としての役割を果たす法律である。したがって、構成要件という刑法に書いてある行為に該当するなら、それって法秩序に違反する行為=違法な行為やん」と。すなわち、構成要件に該当する行為は違法であるとの推定が及ぶのです。
 (言い換えれば、刑法というのは、「ここに書いてある行為をしたら罪になるからやめとき」という規範と、「ここに書いてない行為であれば自由にやっていいよ」という規範とが同時に示されている、ということですね。)

 ただ、行為の側面だけを切り取ってみれば構成要件に該当するような行為であっても、ある事情が付加されることで、「それって本当に犯罪なん?」と疑問に思うような場合というのが幾つか考えられます。
 たとえば、人をナイフで切りつける行為は、傷害罪(刑法204条)の構成要件に該当します。ところが、(A)それが自分のムカつく奴への憂さ晴らしで行った場合と、(B)医者が手術の一場面で執刀が要求されていた場合とでは全く事情が異なり、逆の結論が導かれることになります。すなわちAの場合は、「憂さ晴らしで人を切りつけるなんてしたらあかんやろ!違法や!」と思えますが、Bの場面はそのような批判ができるでしょうか?Bの場合はむしろ当然にそのような(客観的に見れば傷害罪の構成要件に該当するような)行為が要求されるのであって、この場合にも違法といわれてしまえば、およそ医療は(広く言えば社会生活が)成り立ちません。
 そこで、法的に見て、違法評価を下す必要がない(=刑法はそのような行為は「適法」なものとして是認している)と考えられる行為は、犯罪にはなりません。上記の例Bは、「法令又は正当な業務による行為は、罰しない。」とする刑法35条にあたるものです。
 第二のハードルの審査の仕方は、「構成要件に該当する行為は違法であると推定される」のが原則なので、この推定を覆すような事情がないか、ということを判断します(刑法的には、「違法性阻却事由」がないかを検討する、などといわれるところです)。


③有責であること
 いよいよ本題にたどり着きました。構成要件に該当する行為で、その違法性を消すような事情も存在しないとしても、もう1つハードルがあって、その行為者が「有責であること」、換言すれば「犯罪という不利益を課すに足りる責任があること」と言えなければならないのです。

 責任論については、僕自身も勉強不足でよく分かっていないところもあるのですが(指導教官に顔向けできませんね…)頑張って簡単に説明します。刑法における責任とは、構成要件に該当する違法な行為をしたことについて、その行為者を非難しうること(→「行為者に対する非難可能性」などといわれます)です。つまり、平たく言えば、「お前何でそんな刑法に触れるような行為したんや!あほちゃうか!」とその人に言い向けることができるのであれば、刑法における責任が肯定できます(一般的な意味における「責任」、すなわちその人の行為から結果が生じたといえるという意味での行為責任とでも言うべきものと、刑法における責任は意味が異なります。行為者を「あほちゃうか!」と非難できるかどうかが重要なのです)。

 ここで、ようやく問題点が浮き彫りになってきます。精神病の人には、この非難を向けることができるでしょうか。決して精神病の人をバカにするつもりで言うわけではありませんが、刑法の世界では、「刑法が規定している規範について、精神病の人は理解できない(=何が法的に許される行為で、許されない行為であるかの区別がつかない)のであるから、『おまえ刑法規範守らんかったんか!あほちゃうか!』という非難を向けることができない。」と考えるのです。このように考えると、精神病の人は、構成要件に該当して違法な行為をしても、責任がないということになり、その人の行為は犯罪ではないという結論に至ることになります。

 なぜこのように考えるのでしょうか。一般的な説明は、精神病に罹患する人の行為が犯罪にあたるとして、刑罰を課したところで、何の解決にもならないのであって、そのような人々に必要なのは、刑罰をもって非難することではなく(そのようなことは無駄である)、適切な医療を施すことで社会復帰への促進をすることであると考えるべきだとしています。このような考え方については、僕自身も首肯するところであります。



 以上が「精神病の人は犯罪をしても無罪になる」という話の大まかな展開図です。もっとも、この問題の難しいところはこの先にあります。人間の意思や脳の仕組みといったものは、医学的にも哲学的にもその全貌・メカニズムは全くといってもいいほど未解明であることを前提として、「精神病」と一口に言っても、刑法上の責任を否定できるのはどのような場合であるのか(精神病と分類されるものであればよいのか、むしろ程度の軽い精神病であるならば、責任を肯定すべきではないのか)といった難解な問題が待ち構えているのです。


 とりあえず、前編はここまで。後編では、精神障害者に関わる事件の最高裁判所の判断を分析するような記事を書こうと思います。

category: 未分類

Posted on 2016/06/25 Sat. 22:59  edit  |  tb: 0   cm: 0  

反対解釈のふしぎ 

 今日、刑事訴訟法198条を読んでてふと思ったことがあります。それは、「反対解釈」にまつわる何でもないこと。


 現在、日本に存在する法律は2000近く存在しますが、世の中のあらゆる事項・社会現象について規制している、というよりは規制「できている」わけではありません。あらゆる社会現象を予測し、それに見合った法規制を事前に及ぼすことは不可能だからです。
 例えば、「リベンジポルノ」行為は、ネットの進展とともに社会問題となってきましたが、つい最近になってその行為を罰することのできる法整備がなされました。このように、目まぐるしく発展する社会に対して、法規制が「後追い」になってしまうことは、よくあることです。

 さて、そのような法整備の不備を補うための手法はいくらでもあります。例えば、法律の文言をある程度抽象的に書くことで、その条文がカバーできる範囲を広くしておくこと、というのがあります。「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。」と規定する、殺人罪(刑法199条)は、文言から明らかなように、「人を殺せば殺人罪が成立しますよ」ということを規定しています。ここから、相手をぶっ殺してやる!という意思を持っていれば、相手をナイフで刺そうが金属バットで殴ろうが、或いは憂さ晴らしで殺そうが、恋愛のもつれであろうが全て「殺人罪」が成立することになります。このことで、「人を殺してしまう」という類型のある程度の部分をカバーできることになります。


 そのような文言上の工夫のほか、法律の条文がどのようなことを意味するのかを明らかにする作業を法律の「解釈」といいますが、解釈の際に用いられる手法の1つに「反対解釈」というものがあります。
 これは、簡単にいえば、「Aの場合は、Bである」という文言を見て、反対に考えて、「Aでない場合は、Bではない」と考えるものです。反対解釈をすることで、この条文は2通りの場合をカバーするのだ、と考えるわけですね。(例えば、「6は、2で割り切れる」というものを反対解釈すると、「6でない数は、2で割り切れない」ということになります。)


 この反対解釈は、許されるものでしょうか?
 上記の例で、本当に反対解釈は「正しいもの」として成り立つでしょうか。6でない数は2で割り切れないのか?ということが問題になります(明らかに誤りですよね)。
 ここで出てくるのが、高校数学で習う「命題と論理」の話です。元の命題は言うまでもなく真です。しかし、反対解釈したもの、すなわち高校数学にいう「裏」が必ずしも「真」であるとは限りません。まさに上記の例は「偽」です。6でない数でも、2で割り切れる数などいくらでもありますからね。


 さて、本題に入りましょう。刑事訴訟法198条1項は、次のような規定です。

検察官、検察事務官又は司法警察職員は、犯罪の捜査をするについて必要があるときは、被疑者の出頭を求め、これを取り調べることができる。但し、被疑者は、逮捕又は勾留されている場合を除いては、出頭を拒み、又は出頭後、何時でも退去することができる。


 一応最低限の理解を助けるために、言葉の説明を分かりやすくすると…

・司法警察職員:いわゆる「警察官」のことです。犯罪捜査をするおまわりさんだと思っていただいて結構。
・被疑者:これが理解しにくい概念かもしれませんが、捜査機関(警察)に「こいつあの犯罪事件の犯人ちゃうか」と目をつけられている人物のこと(マスコミ用語では「容疑者」と言われています。以下、被疑者といいます)。被疑者にも2種類があって、①ただ単に捜査機関に目をつけられているだけの被疑者(「在宅被疑者」「身体拘束を受けていない被疑者」)と、②捜査機関に目をつけられ、しかも逮捕や勾留(詳しくは後述)されているため自由に動けない被疑者(「身体拘束を受けている被疑者」)がいます。
(なお、その後検察官によって犯人に刑罰を科すために裁判を起こされる(=起訴される)と、呼び方が「被疑者」から「被告人」になります。)
・逮捕・勾留:被疑者が逃亡するのを防止したり、証拠を隠滅したりしてしまうのを防ぐために、被疑者の身体を拘束して(例えば手錠をかけたり、腰縄をつけるなどしますよね)自由に動けなくすること。逮捕と勾留の違いは、制度としてまず逮捕が行われ(逮捕は最大で72時間までしか効力を持たない)、捜査上必要な場合に勾留(こちらは最大で20日間可能)がなされるというもので、順序があり、かつ身体拘束期間が違いますが、「被疑者を自由に動けなくする」という点では同じです(以下では「逮捕・勾留」とまとめていいます)。



 これらの理解を前提に、刑訴法198条1項但書の規定をもう一度確認してみましょう。
 
「但し、被疑者は、逮捕又は勾留されている場合を除いては、出頭を拒み、又は出頭後、何時でも退去することができる。」


 この条文を素直に読めば、「逮捕・勾留されていない被疑者(=上記パターン①の被疑者。在宅被疑者)は、出頭を拒んだり、出頭後いつでも退去できる」ということが読み取れることだともいます。
 そして、上述の「反対解釈」の手法を用いれば、「逮捕・勾留されている被疑者(上記パターン②の被疑者)は、出頭を拒んだり、出頭後いつでも退去できない」ということが読み取れます。


 ここで、先程と同様の問題が生じます。すなわち、「逮捕・勾留されている被疑者は、出頭を拒んだり、出頭後いつでも退去できない」ということは、「真」といえるのかどうか、という問題です。

 もとの命題(といってよいかどうかはまた別の問題ですが)は、真だと思います。その理由付けはいくつか考えられます。刑訴法198条1項がそう書いているから、とか、単に目をつけられているのに出頭を拒んだり、自由に退去できなくなるというのは、我々の身体・行動の自由が著しく侵害されるものであり、不当だから、などといった理由です。
 問題はその先で、反対解釈したものが「真」であるとは限りません。したがって、逮捕・勾留されている被疑者は出頭を拒んだり。出頭後退去することができないんだよということが「正しい」というために、あれこれ理屈をつけなければなりません。刑事訴訟法の教科書は、こうした反対解釈が必ずしも真ではないことを前提にして、反対解釈によって導出された規範が「正しい」のか「正しくない」のかをあれこれと書いています。
(因みに反対解釈をした上で、身体拘束をされている被疑者には取調べを受忍する義務がある(捜査実務)んだとする立場と、そんな義務はない(学説の多数)とする立場の対立が激しいですが、今回は本筋ではないので省略。刑事訴訟法の勉強では主要な対立点の1つなんですがね。笑)


 時々、「自分は文系だから数学はいらない」といっている人がいます。それは本当でしょうか。
 僕は文系理系を問わず中学・高校のレベルであれば、その内容はすべて「大学で学問をするための基礎知識」(それは「教養」に重なる部分もありますが)であると思っています。数学で習う論理の理屈をしらなければ、ある法律の条文の反対解釈をしたあとに、なぜそれが真であるかどうかの検証をしているのか?と、教科書を読んでいる最中に疑問に思ってしまうかもしれません。まぁ、別にそれでわかればいいじゃんって言うならそれまでですし、現に僕もそこまで意識しているわけでもないんですけどね。
 しかしながら、特に法学部は抽象的な思考をする場面が多く、特に高校数学で培われるであろう能力というものは決して無駄にはならないものであると思っています。京大の法学部の二次試験に数学があるのは、そういった理由に基づく部分も少なからずあることでしょう。


 いずれにせよ、反対解釈には常に気をつけなければなりません。「お金があれば、幸せである」ということ(真だと思って)を反対解釈して、「お金がなければ、幸せではない」という結論を(これまた真だと思って)受け入れるのは、嫌ではありませんか?

category: 日常生活

Posted on 2016/06/05 Sun. 22:31  edit  |  tb: 0   cm: 0  

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